新野安と夜話のブログ

新野安がマンガやエロマンガについて文章を書いたりするブログ。Webラジオ「エロマンガ夜話」「OVA夜話」の過去ログ紹介も。

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【6/21】本書の記事「このLIPSがすごい!」内の記述について、訂正記事を書きました。失礼いたしました。

評論サークル「夜話.zip」の新刊告知記事です!コミケ98はなくなったが本は出す!

今回はゲームシリーズ「サクラ大戦」を語り尽くす!『〈サクラ大戦の遊び方〉がわかる本』

表紙

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表紙イラスト:チバトシロウ
表紙デザイン:日村克美

目次


立ち読み用サンプル

こちらからダウンロードできます(画像が圧縮されています。)

頒布形態

本文84P・白黒
頒布日 5月初め(冊子版)/発売中(電子版)
基本頒布価格 900円(冊子版)/700円(電子版)
電子版はBOOTHメロンブックスDLsiteにて販売中。
冊子版はメロンブックスにて予約受付中。とらのあな、ZINでも販売予定です。

Webイベントとして、エアブー内新サクラプチオンリー「新!サクプチ」WEBコミに参加予定。

内容

ゲーム「サクラ大戦」シリーズをあらゆる面から語りまくる評論本です。

イントロダクションでは、「サクラ大戦」の歴史を年表形式で振り返りつつ、主要作品を紹介していきます。セガハードの興亡や元ネタ作品にも目を配り、サクラが駆け抜けた「時代」が伝わるようにしました。シリーズ初心者の人もこれまでの流れが分かるはず。

第一特集はもちろん、新作『新サクラ大戦』のクロスレビュー!

  • ゲーム小説『The video game with no name』の作者であり、筋金入りのサクラファン、赤野工作(模範的工作員同志)さん
  • ゲーム情報サイトIGN Japanやラジオ『アフター6ジャンクション』で活躍するライター、『新サクラ』デビュー勢のクラベ・エスラさん
  • eスポーツを研究し、文化×哲学雑誌『フィルカル』に『超攻合神サーディオン』論も寄稿した倫理学者の岡本慎平さん

など、様々な視点を持つレビュアーをお招きしました。14年ぶり待望の新作『新サクラ大戦』で、果たしてサクラは再び咲いたのか。賛否激突の徹底検証!

第二特集は「あなたの知らない「サクラ大戦」」です。少女マンガ研究者の日高利泰さんが、少女マンガ版サクラ大戦『サクラ大戦奏組』&作者島田ちえを論じた文章が目玉。少女マンガ業界における乙女ゲームのコミカライズとは、という広い視点からの論考です。そのほか、「すみれ」「悪役」「音楽」など、それぞれのライターがこだわりのテーマを設定し、「サクラ大戦」の新たな魅力を切り出します。

そしてイラストエッセイ。エロマンガ家&アメコミイラストレーターのチバトシロウさんに『新サクラ大戦』について、新昴同人で活躍されている長柄さんに『サクラ大戦V』について、絵と文で存分に語っていただいています。

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そのほか企画ページとして、シリーズを彩った「名選択肢」を紹介する「このLIPSがすごい!」もあります。あなたの好きなLIPSもあるかも?

以上株玉の11記事。これを読まなきゃ『サクラ大戦』は語れない!

弊サークル夜話.zipでは、C98新刊として、サクラ大戦評論本『〈サクラ大戦の遊び方〉がわかる本』を刊行しています。

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今回は同書の特集「賛否激突!『新サクラ大戦』クロスレビュー」より、『新サクラ大戦』の全話レビュー座談会の一部を掲載します。

出席者紹介:

長門裕介(長):倫理学者。早稲田大学 人間科学部 非常勤講師。『フィルカル』『ユリイカ』などにも寄稿。

新野安(新):評論サークル夜話.zip同人。『〈サクラ大戦の遊び方〉がわかる本』編集。『ユリイカ』『マンガ論争』などにも寄稿。

ひかけん(ひ):評論サークル夜話.zip同人。『〈サクラ大戦の遊び方〉がわかる本』編集。

ゆきこ(ゆ):評論サークル夜話.zipの編集協力者。今回は聞き役として参加。

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 僕とひかけんは後追い世代なんですけど、長門さんは初代サクラがほぼリアルタイムですよね。まずは当時の印象をお聞きできればと思います。その後、各自が大雑把に新サクラの感想を言っていきましょうか。

 僕の感覚では当時すでに、サクラ大戦ってエッジが効いている作品ではなかった気がしていて。初代のすぐ後に『FFⅦ』(一九九七)が出てて、サクラ2のちょっと後に『メタルギアソリッド』(一九九八)が出てて、神ゲーみたいなものがいっぱい出てた時代の中で、神完成度という扱いではやっぱりなかった。でも、なんでサクラ大戦みんな意外と好きなのかといったら、当時の作品としては例外的に、健全な感じがあった。健全さってどういうことかっていうと、ダークな感じに時代が傾きつつあったんです。『FFⅦ』もそうだし……。

 『エヴァンゲリオン』(一九九五)、『攻殻機動隊』(映画版一九九五)。

 『ゼノギアス』(一九九八)、『ポリスノーツ』(一九九四)、『リンダキューブ』(一九九五)、『moon』(一九九七)とか、ハードだったりダークだったり、ホラー系とかが流行ってた時代の中で、例外的に健全な雰囲気というか。勧善懲悪とかダサいじゃん、みたいな気持ちになってた気がしてて、オタクが。みんなもう黒いシャツ着ようよみたいな。

 新野さん黒Tしか着ないですよね。

 うるさい。

 世紀末みたいな雰囲気が漂っていた中で、ほっと一息つくような感じっていうのが。こんな普通の作品いいんだ、というのが驚きでした。
 僕は一貫してすみれが好きで。悪いなあっていうか。今回もみんなはもらってないのに、自分だけこっそりおもちゃもらっちゃった人みたいな感じなんですよね〜。

 ……?

 『新サクラ大戦』の話ですか?

 すみれ推しじゃない人に、ごめん俺だけ得してる、っていう。
 あと『新サクラ大戦』はやってるとき、ずっと頭の中に、スター・ウォーズ エピソードⅦっていうのが……。

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『スター・ウォーズ フォースの覚醒』(2015)ポスター

 そう! 僕もその話しようと思ったんですよ。

 エピソードⅦ観てるときに、製作陣に念波みたいなのを送ってたんだけど、まったく同じ内容の念波を今回のスタッフにも送ってました。その内容については後ほど。あと推しはクラリスです。

 『新サクラ大戦』、僕は面白かったです。しばらくナンバリングタイトルがなかった年月に合わせて、華撃団がみんないなくなった設定があって、思い入れやすかった。ヒロインについては自分もクラリスがかなり好きで。『新サクラ大戦』はぱっと見の印象が、どのキャラにもあまり裏切られないじゃないですか。クラリスはそこまでポエム書くんだ!?みたいな驚きがあった。

 『新サクラ大戦』をやってたときに思ったのは、サクラ大戦って家族とかに近くて、一緒に人生を刻むみたいなところがある。多分この後も舞台とかアニメとか小説も含めて、作品と一緒に生きていくものなので、それを客観的に評価することに意味があるのか?って思ったりしました。家族に星◯つとかつけないじゃないですか。そういうつもりでいくと、愛着が持てるというか、一緒に生きていこうという気持ちにはなってます。特にキャラクター。一番の推しは白秋さんなんだけど、推しづらい事情がね。

 油断がならない。

 ヒロインでいうと初穂だね。一番病んでる感じがして好きなんですけど。

 そう、その話もしたい。初見の推しは初穂だったんだけど、やっぱり推しづらい事情が……。

神山くん、いい男じゃないか 第1話 新たなる風

 神山回という感じの第1話ですが。

 神山くんは最初からすごく好感を持った。いい男じゃないかっていう。こちらとしてはもちろんすごく不安なわけじゃん。大神さんみたいな人じゃないとやだって思ってたけど、彼だったら安心だねみたいな。ベタだけど、降魔が駅に入ってきて、子供助けるところで、いい人だってすぐわかる。

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『新サクラ大戦』第1話より

 神山さんは阿座上洋平さんが演じてて、俺は阿座上さんをまったく知らなくて。それがよかったかもしれない。すでにめちゃめちゃ売れてる人とかが軽くやってたらやだなと思ったけど、神山くんは阿座上さんのキャリアの中で大事な作品になるんじゃないかなと。上手い人だと思うし。

 新しい花組についてはどうですかね?

 これはよくないプレイスタイルなんだけど、これは昔のキャラでいうと誰に相当するんだ?みたいなことを考えちゃうわけじゃないですか。そういう意味では、最初の三人(さくら、初穂、クラリス)に会ったとき、まあそれはあんまり無理に考えるものではないかな、ってすぐに切り替えできた。

 スタッフインタビューだと、あんまり過去のキャラクターとかぶることを恐れすぎると、かえってキワモノになっちゃうから、必要以上に避けることもしなかった、って言われてますね。

注:「『新サクラ大戦』開発者に徹底的に訊く! 「シリーズのキャラは?」「主人公の神山はどんな男?」 など疑問に答えまくるロングインタビュー!」(二〇一九)https://www.famitsu.com/news/201905/03174243.html 2020/3/14閲覧。

 それはのVの反省が……

 多分そう。あかほりさとるが、Ⅴはかぶりを避けようとしてキャラが尖ったって言ってるインタビューもあるんだけど。だから、初穂がカンナとか、アナスタシアが織姫とかマリアとか、なんとなく重ねることはできるわけですよ。でも、カンナよりは初穂はちょっとヤバい暗さがあったりとか……

注:『太正浪漫グラフ』(二〇一一)p.129。

 それは新野の妄想なんじゃないの

 そんなことないよ! なんにせよぴったり重なるわけではなく、面影があるくらいのバランスになってるなと。アナスタシアだって、織姫よりももっとドライだよね。

 織姫って……もっと楽しいやつだった(笑)

 それでいうとあんまり面白い人いないよね新サクラ。冗談を言い続けられそうな人がいない感じ。割とみんな、重くなると重くなりそうだなって人たち。

 トリックスターがいないのかもね。エリカみたいな人がいない。
 あと話は戻りますけど冒頭の冒頭、三都の華撃団全滅!から始まるのは結構ワクワクしました。え、どうすんの!?っていう。で、そこでスター・ウォーズを思い出した。ルーク・スカイウォーカーが消えた!ですよね。
 もう少しスター・ウォーズの話を続けると、今回はエピソードⅦと立ち位置が似ていて、まずスター・ウォーズは、ジョージ・ルーカスの作品だったんですよね。それが、ジョージ・ルーカスの手から離れて、ディズニーで別の人が作ることになった。その結果、高橋ヨシキさんとかがそういう話をしてるんですけど、ジョージ・ルーカスの作品でなくなったとき、じゃあスター・ウォーズらしさってなんなの?ってことになってきて、スター・ウォーズであることを証明しなきゃいけないみたいな責務を抱え込んでしまった。結果として、エピソードⅣ−Ⅵの焼き直しをやることになったんだけど。

注:高橋ヨシキ『スター・ウォーズ 禁断の真実』(二〇一九)、特に『ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー』の章。

『新サクラ大戦』にも似た印象を持っていて、つまりサクラ大戦も、広井王子とあかほりさとると藤島康介と田中公平のシリーズだった。今回田中公平以外全部消えて、別の人が入ってきて、そこでサクラ大戦らしさってなんなの?ってなる。それで紐育から今回もう一度帝都の話にもどって、大帝国劇場が舞台で、メインヒロインは「さくら」、袴に日本刀、主題歌はゲキテイ、ってところで、みんなが考えるサクラ大戦らしさみたいなのを盛り込まざるを得なくなったのかなと。

 それを引き取って話したいんですけど、さっきエピソードⅦと同じ念波って言ったのは、「気を使ってもらって申し訳ないですね」ってことなんですよ。ほんと気を使っていただいて、ありがとうございます。でもそのせいで自由なクリエイションができてないかもしれない、っていうのを思った。

 ただそれでいうと、ルークだけじゃなくて、三都全滅ってことにしたんで、今回はもう、すみれさん以外が出てこれないのはよかったなと思ったんです。必然的に新しいキャラクターの話が中心になっていくから。

回想シーンを嫌いすぎ? 第2話 手のひらほどの倖せ

 第2話は、クラリスの過去がよくわからないというか。どんくらい重魔導がクラリスにとってトラウマになっているのか、情報としては知れたけど、キャラクターの厚みには貢献できていないのかなという印象ですね。
 今回は回想シーンを嫌いすぎてる感じがしてて、過去にこういうことがあったって言うときに、口頭で説明するだけだったりするじゃん。別によくない? 回想シーンのムービー流しても。

 僕がそれを感じたのはアナスタシアが裏切って、アナスタシアがなんで夜叉に従ってたのか説明するとき。昔親が戦争で死んでみたいな話をするじゃないですか。それが本当にセリフしかなくて。

 マリアの過去のムービーみたいなのを流せばいいんですよね。なんでああいうのをしないんだろう。

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『サクラ大戦』第3話より。

 今回ボリューム不足っていう声をよく聞いて、僕も食い足りないなっていう思いがあるんですけど、キャラの過去をもっとちゃんと見たい人が多いからなんじゃないかと思うんですよね。第2話だと、クラリスが昔重魔導で事件を起こしたみたいな話が、まあ普通に考えて必要ですよね、作劇上。だからいまいち感情が入りきらない気はしますね。本という一つのモチーフに、破壊と創造っていうクラリスの二面性を込めるのはすごく綺麗なんですけど。

 あと、コミュニケーションモードがこの第2話から出てきますね。『ラブプラス』(二〇〇九)みたいな……。

 僕は『シノビリフレ』(二〇一七)だと思った(笑)。

 コミュニケーションモードの実装によって、各ヒロインの面倒くさい部分が炙り出されたのはすごかった。早く本題入ってくれねえかなあ、なんでこっちが気を回さないといけないんだよ、人の悩みをなんでこんな時間をかけて聞かなきゃなんないんだみたいな……。

 ここだけ飛ばせないんですよね。

 これまでもクリックモードはありましたよね?

 そうなんだけど、今回は距離の概念が存在するっていうのが大きい。一枚絵はそこにキャラが存在するっていうことでしかないわけだけど、今回は喋っていくうちに近づいてくるということが可能になったので。そこが胸キュン。

 やっぱ物理的な距離によってやっぱ本当に、なんか、面倒くせえみたいな感じが。「そっち行ってもいい?」「いいけど……」みたいな(笑)。

 ただちょっと思ったのはね、全体で八話しかなくて、コミュニケーションモードを満遍なくまぶした結果……。

 出てくるのが早い。

 そう。さくらのコミュニケーションモードとか第2話だしね。アナスタシアのコミュニケーションも裏切り発覚前で、中身も神山を色気でごまかしにかかるシーンじゃないですか(笑)。あんまり仲よくなってその結果って感じがしないのは残念だったかなと。

 今回、本当の意味で攻略できるキャラはすごく少ないんじゃないかって気がしますね。

 そうなんですよ。中間報告くらいの感じでエンディングなんだよ、たぶん。全八話だし。

ガールズ&光武 第3話 平和の祭典

 各国の華撃団を見たいみたいな欲望は僕はあって、しかもかなりカリカチュアライズされたお国柄みたいなのが出てると嬉しくなっちゃうじゃないですか(笑)。だからこの華撃団大戦っていう発想自体はいいわけだけど、まさか何話にもわたって引っ張るとは思わなくて。大集結したら、イベント中止になっちゃったみたいなくらいでいいのかなと思ったりして。

 僕はむしろ逆で、華撃団大戦は今までシリーズにまったくなかった要素なので、これが投入されると、新しいものが見られると思ってました。各国の華撃団がごちゃごちゃ集まって戦うのも賑やかだし、華撃団大戦はもっと見たかったですね。今回スポ根みたいな話じゃないですか。弱小チームがいて、キャプテンが入って、少しずつ立て直して、強豪を倒して頂点を目指すみたいな。その構図は結構燃えた。

注:スポ根としての新サクラ大戦という見方は以下の記事を参考にした。「『新サクラ大戦』が継承した『サクラ大戦』らしさとは何なのか? 「モテるが刺されない主人公」と「LIPSの存在意義」をいま考える」(二〇一九)https://news.denfaminicogamer.jp/kikakuthetower/191212b 2020/3/14閲覧。

 3話の途中くらいで、へなちょこ華撃団だという設定はなくなったという風に見ていたんだよね。だってもうアナスタシア来て、クラリスが脚本書いて、みんなやる気出てるんだったら、もう別にへなちょこ感ないだろっていう。弱小が優勝候補を倒していくっていうスポ根設定は活きなかったと思う。

 それは結果的にはそう思います。特訓とかしてほしかったんですよ。

 予算がなくて旧式の三式光武を使っているけど、実はそっちの方が機動性は劣るが出力では負けない、みたいな……。

 『ガールズ&パンツァー』(二〇一二)がそういう感じですね。

 そういうのがあってもよかった。

初穂のエロ絵がつらい 第4話 仮面の下

 この話数が一番サクラ大戦ぽくない? ドタバタがあって、えっ大丈夫か?あざみが傷ついちゃうんじゃないか?みたいな風に心配させるけど、戦闘があって、よかったねって終わるっていう。そういう意味だと2、3話とはちょっと違ったかな。

 僕は4話は、なにもかもめちゃくちゃで好きでした。まずその、夜叉は仮面着けてる、あざみが喋ってた男も仮面着けてる、したがってあざみはスパイって、そんな理屈はないだろ(笑)。

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『新サクラ大戦』第4話より。夜叉とは仮面のデザインも違くない……?

 途中で同情を引くようなあざみの過去が出てくるけど、それも嘘だとわかって煙に巻かれて終わるみたいな。全体としてシュールな感じでまとまってて、あざみのキャラクターにもマッチしてたし、面白かったなと。

 ネタバレするとWLOFって敵組織なわけだけど、単にこの話によって、すげえ間抜けな人たちなんじゃないかという印象がついて。ゼーレみたいな強大な組織とはちょっと違う、ダメな連中が揃ってるんじゃないかみたいな。

 プレジデントGも小物っぽいですしね。

 そうそう。もっとデブとか、鼻毛出てる感じの方がよかった。「がはははは」みたいな(笑)。

 この話数で初穂のコミュニケーションモードがあって。

 問題の。

 僕はねえ、初穂はいつも元気みたいな感じでふるまってるけど、僕の中での初穂はね、いつも元気じゃないからこそ、いつも元気だと言ってる人なんですよ。小説版を読んでも、さくらは何に対しても諦めずに向かってくんだけど、初穂は肝心なときに弱気になってしまう。それで劣等感を蓄積していく。このコミュニケーションモードでも、自分が何者なのかみたいに神山くんに聞いたりしてて、自我がぐらぐらなんですよ。初穂ちゃん、って自分を呼ぶのとかも、自我が弱いからこそ、「初穂ちゃん」という鎧を着ているんじゃないか。

 大丈夫なのかなこの人、みたいな感じあるよね。

 そうそう。ツイッターで、新サクラのエロ絵とかも流れてくるんですけど、初穂の寝取られ絵が本当につらい。やばい恋人にハマって酷い目にあってるみたいなのがシャレにならないところがあって。

 すごい男に依存するタイプに見えるんだよね。

 胸元触ると、隊長だったらいいんだぜみたいなこと言うんだけど、「大丈夫か初穂!?」みたいな。

 不安だよね(笑)。だから比較的クラリスとかは自立してる方じゃないか。

スタァを超えろ! 第5話 さくらの帰郷

 で、引き続き初穂の話なんですが(笑)。たぶん第5話が初穂回ってことだと思うんだけども、実質的に第5話はさくらの話になっていて。初穂ファンとしては悲しい。

 こう、他人に依存してる感じっていうか。友人や男に依存してしまう初穂の性が、話数にも現れてますね(笑)。

 さくらの情緒不安定さが出ているのも第5話ですね。さくらを励まして、よし、実家から連れて帰るぞってところで、突如あんた何もわかってないよ!みたいにまた不機嫌になる。めんどくさすぎるだろう(笑)。

 励ますと逆にキレてくるっていう。なんもお前はわかってない、がんばるとかばっかり言って、みたいな。すげえ生々しい感じのキレ方でしたね。

 あと、桜武がこの話数で出るんですよ。設定上はすごくアガるんです。霊子戦闘機の試作機である桜武に、真宮寺さくらも乗れなかったみたいな設定があって。で「桜武」は、神崎重工が初めて作った霊子甲冑の名前で、それはすみれさんが初めて動かした機体でもあるんですよ(図5)。そういう帝撃の歴史みたいなものがあって、そこに天宮さくらが乗ることで、かつてのスタァを超えるのだ、というのはものすごく綺麗だと思うんだけど。じゃあ天宮さくらならなぜ桜武を動かせるかがよくわからないまま動かせちゃうんですよね。いつのまにか真宮寺さくら超えてたみたいな。ちょっと残念かなっていうのはありました。せっかく燃えるシチュエーションなので。

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サンプルはここまで!この続きは『〈サクラ大戦の遊び方〉がわかる本』で!

弊サークル夜話.zipでは、C98新刊として、サクラ大戦評論本『〈サクラ大戦の遊び方〉がわかる本』を刊行しています。

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今回は同書の特集「賛否激突!『新サクラ大戦』クロスレビュー」より、作家・ゲームライターの赤野工作(模範的工作員同志)さんによる、『新サクラ大戦』のレビューを掲載します。

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 私も良い歳になったから流石に泣きまではしなかったが、望月あざみの生年月日を計算し、太正一五年五月一五日(一九二六年五月一五日)という日付を目にした時には、胸にこみ上げてくるものがあった。史実における大正は一九二六年一二月二五日をもって終わりを告げ、その日を境に時代は昭和へと改められた。それはつまり、シリーズが新サクラ大戦へと生まれ変わり、花組メンバーが一新された今でもなお、主たる登場人物が史実においても「大正生まれ」であることを意味していたからだ。長らく「終わらなかった大正」の情景を描いてきたサクラ大戦シリーズにとって、登場人物たちが夢溢れるあの大正時代を生きた人々であることは最早作品アイデンティティの一部でもあった。だから、一目見たときには単純に嬉しかったのだ。「ああ、まだ太正は続いていたのだ」と。だが、その一方で少し切なくもあった。あの日の花組の戦いがまだ終わってはいないという事実を、眼前に突きつけられたようにも感じられたからだ。

 そもそも何故サクラ大戦シリーズが「終わらなかった大正」を舞台にしてきたのかと言えば、それは原作者の広井王子の言葉を借りれば「昭和をやらなくても済むから」。もっと簡潔に言えば、かつてのこのシリーズがドラマチックアドベンチャーであった以上に、戦乱の世を回避する歴史改変SFだったからに他ならない。史実の大正が万民にとって平和な時代だったかと言えば勿論違うが、実際のところ、サクラ大戦の歴史は史実の昭和とそれに連なる第二次世界大戦を避けるようにして時計の針を進めてきた。一九一四年の欧州大戦は霊子甲冑の登場によって勝者無しの休戦に終わり、疲弊した欧州列強は世界中の植民地を放棄、世界は史実より半世紀ほど早く独立の時代を迎えた。よって、彼らの生きる太正の日本には、我々の知る昭和と比べての話だが、陰鬱な帝国主義も台頭していなければ無軌道な全体主義も蔓延ってはいない。降魔という敵の出現によって人類同士で争う局面も史実と比べ格段に減少し、この世界は「やがて訪れる昭和」の対比としての「終わらなかった大正」として瑞々しく描かれてきた。

 「夢のつづき」という歌を聞いたことがあるだろう。『サクラ大戦2』のエンディングテーマとなった名曲だ。その一節にこんな歌詞がある。「この夢がずっとずっと続いて欲しい」当時こそ深く考えはしなかったが、かつての私にとって、この歌に語られる「夢」とは「サクラ大戦」そのものであり、サクラ大戦とは即ちそこに描かれた「終わらなかった大正」という架空の歴史を意味する言葉だった。『サクラ大戦2』は一九二五年が舞台の物語であり、史実においては大正の終わる直前の物語だ。だから彼女たちが声高らかに夢のつづきを歌えば歌うほど、私はそこに羨望と儚さを感じずにはいられなかった。一〇〇年後の未来を生きる人間として、彼女たちが夢とまで称した時代がたったの十五年で終わり、「終わらなかった大正」なんて未来は訪れなかった史実を私たちは知っている。もし大正の世が続けばこの国にはもっと夢が溢れていたかもしれないなんて考えは馬鹿げているとは思っていた、思ってはいたが、そんな妄想に浸れるだけの浪漫と説得力がそこには存在していたのだ。

 新サクラ大戦にも、そんな歴史観は色濃く継承されている。本作の舞台は一九四〇年、丁度、史実において「東京オリンピック」が第二次世界大戦の影響で中止になった年である。平和な世であれば開催されたはずの五輪を下敷きに、「終わらない大正」における第二次世界大戦の代替的存在として世界華撃団大戦が描かれることになった。新生花組の隊員の生い立ち一つとってもそれは明らかで、彼女たちのオリジンは旧花組隊員と比べると実在の歴史的事件に紐づけられた特徴が極端に少ない。袁世凱のクーデターによって両親を失った紅蘭、ロシア革命で祖国を追われたマリア、マルヌの戦いでドイツ軍を迎え撃ったアイリス。対する新生花組の隊員たちは、真宮寺さくらの背中を追いかけた天宮さくらを筆頭に、初代サクラ大戦から続く降魔との戦いの時代を生き延びた者たちによって構成されている。両者の違いはやはり、彼女たちが生まれた時代がどれだけ史実と変わっていたかに起因するものだろう。新生花組の生きてきた歴史は我々の知る姿とは大きく変わっているのだ。それは勿論、私たちと旧花組隊員たちが紡いだ歴史、「終わらなかった大正」の影響によって。

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『新サクラ大戦』第3話より。

 新サクラ大戦の物語開始時点において、天宮さくらは十七歳、つまり生年月日は一九二三年三月一九日である。奇しくもこれは真宮寺さくらの花組入隊とほぼ時を同じくしている。天宮さくらがサクラ大戦の世界に生を受けたとき、既に彼女の住む帝都は帝国華撃団によって守られていた。よりウエットな表現をするなら、新花組の隊員たちは皆、私たちがサターンのコントローラーを振り回したその先の未来が至った「終わらなかった大正」にしか存在しえない人々であるということだ。私であり貴方が守った人々は、史実と同じ歴史を辿らず、夢のつづきにある新たなる世界を迎えた。歴史改変SFとしての旧サクラ大戦は見事に本来の目的を遂げ、太正の治世を続けることに成功したのだ。しかし、それでもなお、彼女たちはあくまで史実における「大正生まれ」であり、フィクションの中にしか存在しない完全な「終わらなかった大正生まれ」ではなかった。その事実は、既に昭和期へと移った新サクラ大戦にかつてと変わらぬ大正浪漫を感じる理由と表裏一体となって、かつての戦いが未だ終わっていないという強いメッセージ性をもこの作品に齎している。

 新サクラ大戦を遊んでいると、旧サクラ大戦と同じく、いや下手をするとそれ以上に、「夢」という言葉が印象的に使われているシーンに多く遭遇する。その最たるものが主題歌「檄!帝国華撃団〈新章〉」の中に歌われる「夢は蘇る 帝国華撃団」の夢だ。しかし改めて考えてみれば、新生花組の隊員たちの見ている夢とは一体どういう夢なのだろう。既に「終わらなかった大正」に生きている彼女たちは、私たちと同じ歴史を生きていない以上、史実の大正に羨望など抱きようがないはずだ。しかし彼女たちの語る夢には往々にして、かつて私の見ていた夢と同じもの、華やかな帝劇であり、花組のスタアたちであり、浪漫溢れる大正時代への郷愁が存在している。そうして夢を語る彼女たちの表情を眺めていると、ふと、当たり前のことに気がつくのだ。「夢」とは「終わらなかった大正」を意味する言葉である前に、それを描いてきた「サクラ大戦」という作品そのものを意味する言葉だったではないか。よくよく考えてみれば、新生花組の隊員たちほどプレイヤーである私たちと同じ「サクラ大戦の歴史」を体験してきた人々も他にいないではないか、と。

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『新サクラ大戦』第1話より。

 PS4で美しく蘇った帝劇を初めて散策した時、この世界が旧シリーズの上に成り立っている世界だということを、貴方も嫌と言うほど思い知らされたはずだろう。名札も無く閉ざされたかつての隊長室に、過去を語りたがらないかつてのスタア神崎すみれの表情。それは大神一郎という男が初めてこの場所を訪れた時のオマージュのように見えて、やはり決定的に何かが違った。かつてこの場所に遺っていた米田一基や藤枝あやめの歴史とは違い、今その場所にあったのは、かつての私や貴方が遺してきた歴史だったからだ。歴史改変SFであった旧サクラ大戦が「やがて訪れる昭和」の歴史を回避した代わりとして、シリーズを重ねた旧サクラ大戦そのものがこの作品に積み重なった「終わらなかった大正」の歴史を遺している。作中、大帝国劇場の支配人となった神崎すみれは過去の因縁にケリをつけるべく、帝国華撃団の再興に向けて動き出している。その動機は、欧州大戦にもなければ天海暗殺にもなく、北条氏綱の失踪にもない。史実のどこを探しても存在しない架空の歴史の中にしか見つけられないものだ。

「太正」の文字に追加された一画の点について、いつか広井王子がそれを画期的なアイディアだと語っていたことがある。大正の字に一点をつければ、華やかな大正をいつまで描き続けようと、架空の時代「太正」の話なのだから全てが許されるでしょうと。新サクラ大戦に描かれた一九四〇年の帝都の姿は、確かに、そうした当初の願いが結実した未来の姿に見えた。もしも大正デモクラシーの世が続いていれば、この国には別の素晴らしい未来があったのかもしれないという旧シリーズの問いへの回答だ。歴史改変SFである旧サクラ大戦の後日談として、新サクラ大戦という作品は完璧な世界を示してくれた。しかし、ドラマチックアドベンチャーである旧サクラ大戦のフィナーレとして考えたとき、新サクラ大戦という作品が示した答えはどうだろう? まだ、たったの一歩だ。なにせ彼女たちの物語は未だ、花組という組織をなんとか存続出来た段階にすぎない。サクラ大戦シリーズはもう既に、歴史改変SFと見做すには独自の歴史を積み重ねすぎてしまった。だから、当たり前の話なのだ。そんな一歩でこれからの未来が変えられるほど、このシリーズの積み重ねた歴史は決して短くはないのだから。

 冒頭、私は「良い歳になってしまったから流石に泣きまではしなかった」と言ったが、実のところゲームを遊んでいるうち一度も泣かなかった訳ではない。エンディング曲「新たなる」を聴いていた時に、悔しいかな、やられてしまった。「新たなる世界 新たなる未来 新たなる夢」という一節だ。「夢のつづき」の「春は巡るいつも美しく いつかまたこの夢のつづきを」に負けるとも劣らない、素晴らしい歌詞だと思った。かつて私は「夢のつづき」を初めて聴いた時、この歌の語る夢の情景に強く心を打たれた。しかし、「新たなる」を聴いた時には、彼女たちの歌う新たなる夢が一体どういうものなのかが全く想像がつかなかった。それもそのはず、「夢のつづき」の語る夢とは、「あの浪漫溢れる大正時代がもしも終わらずに続いていたら」という夢であり、それはあくまで私たちの生きる史実との対比としての夢だ。しかし「新たなる」の語る夢とは、私たちの夢の中にしか本来存在しなかった人々の見ている夢である。私たちにはもう、これからの彼女たちの生きる世界、生きる未来を想像することは難しい。史実と比較してサクラ大戦の歴史を語ることが、ほとんど不可能になってしまった今となっては。

 現実の歴史を下敷きとした歴史浪漫としての旧サクラ大戦は、新サクラ大戦をもって一応の終わりを迎えただろう。そうして新たにこれからは、サクラ大戦シリーズが独自に積み重ねてきた歴史を下敷きとする歴史浪漫としてのサクラ大戦が始まっていくはずだ。新サクラ大戦は、それを感じさせるに十分な作品であった。自慢じゃないが、私たちの見てきた「終わらなかった大正」の歴史はあまりにも膨大で、現実の歴史と比較したって一朝一夕で全てにけりをつけられるようなものじゃない。だから新生花組の隊員たちには、胸を張ってこう言いたいのだ。新サクラ大戦の物語は、旧サクラ大戦の後日談として完璧で、君たちの完璧な一歩目を私は見届けた。そして同時に、頭を下げてこうも言うしかない。新サクラ大戦の物語は、旧サクラ大戦のフィナーレとなるにはまだ足りず、この作品を一歩目としてしまうほど、皆さんにはまだまだ尻拭いしてもらわなければならない宿題を、私はあの時代に残しておりますと。

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『〈サクラ大戦の遊び方〉がわかる本』では、赤野工作さん以外にも、哲学者やエロマンガ家、初代リアタイ勢から『新サクラ大戦』からの新規プレイヤーなど、多くの方の『新サクラ大戦』レビューを掲載しています。また赤野工作さんに本記事とは別の視点からの短文レビューも寄稿いただきました。これを読まなきゃ「サクラ」は語れない!!

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