新野安と夜話のブログ

新野安がマンガやエロマンガについて文章を書いたりするブログ。Webラジオ「エロマンガ夜話」「OVA夜話」の過去ログ紹介も。

2020年10月

毎週金曜日更新のエロマンガ時評、今回は黒青郎君の『永世流転』を取り上げる。ロリババア専門誌『永遠娘』に掲載された連作短編「永世シリーズ」を集めた一冊だ。

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いきなり結論から述べると、この単行本、めちゃめちゃ面白い。『永遠娘』は全巻買っているので、作品も一部は読んでいたはずだ。しかし、単行本でまとめて読んではじめて魅力が理解できた。

著者の黒青郎君は台湾の作家で、本作が初単行本となる。といっても、それは日本の商業本が初めてということであって、台湾では『聊斋夜画 狐魅』という18禁単行本もあるし、サークル「三色坊」で日本語版同人誌も既に何冊か出している。こんな異様なマンガを描く作家を今まで認識できていなかった人たちは私と一緒に恥じ入って、今後の活動をちゃんとウォッチするように(何?)。

では、何がそんなに面白いのかというと、なんとこの単行本、エロマンガであると同時に、オカルト的な歴史ミステリマンガでもあるのだ。以下、ちょっとネタバレが入ってくるので、何も情報を入れたくない人は今すぐ書店に走ってほしい。

衝撃のロリババア神話

シリーズ第1話「永世の香り」は、古代中国は漢(紀元前202-後220)の時代、とある薬屋の離れで暮らす少女がヒロインである。彼女は不老不死の力を持っており、体液を薬として提供していた。やがてその力を根こそぎ奪おうとする当主に命を狙われ、彼女は屋敷を去る。そして時代は唐代、西暦760年前後に下る。第2話のヒロインの元に彼女は現れ、「徐福」と名乗る。

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徐福というのは、秦(紀元前221-207)の始皇帝に不老不死の薬の捜索を命じられ、3000人の童男童女と共に船出して、帰ってこなかったとされる人物である。その謎めいた足跡からいろんな伝承やフィクションの種になっており、なんと旧約聖書に登場するヨセフ=ジョセフ(=ジョフク)との関連を云々する説まである。徐福本人、あるいは徐福に連れられた誰かがこのヒロインで、本当に不死の力を得て永い時を生きてきた、ということなのだろう。

これだけでもだいぶマニアックである。ただ、面白いのはここから。徐福の不老不死を得ようとする者は、みな力を身に受け止めきれず、醜い肉塊と化してしまう。シリーズ第4話で、徐福はこの肉塊を「太歳」と呼ぶ。そして第5話で、姿だけ人に戻った太歳がヒロインとして登場するが、その見た目はどうみたってキョンシーなのだ!

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太歳は中国妖怪のひとつだ。地中を移動し自己再生能力を持つ肉塊であり、不老長寿の薬の原料になるとも言われている。キョンシーは言わずと知れた中国ゾンビである。

つまり、徐福、太歳、キョンシーという、一見全く別物に見える中国オカルトネタは、実はある一人のロリババアを通じて全てつながっているのだ!諸星大二郎かよ!(実際、徐福も太歳≒視肉も、諸星のマンガに登場している)

本書ではこの他にも、様々な伝承・歴史事象が、一つの物語の中に織り合わされていく。「一見無関係なものが実はすべてつながっている」というのは、オカルトとか批評の根源的快感のひとつだ。私はそういうの大好きなんで、本書は脳汁ドバドバであった。また、「徐福」とか「太歳」みたいなワードをポンと出しておいて、詳しく解説しない不親切さが心地いい。私なんかは無知なので調べないとついていけないが(↑の解説もちょっとググってでっちあげたもの)、その分周辺知識とともに楽しむことができた。

歴史ロマンならではのエロさ

こう書くと本当にエロマンガなのか怪しくなってくるかもしれない。でも、本作はちゃんとエロい。例えば悠久の時の流れの中であらゆる物事に飽いた徐福が、それでも生を実感し心を埋める手段としてセックスを求めるシーン。こういう壮大な歴史ロマンを背景にして初めて成り立つようなエロさが、本作にはある。

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惜しむらくは、ちょっとセリフが詰め込まれすぎ。限られたページ数で、エロシーンをある程度入れて、この情報量の話をやるとなると、しょうがない面もあるとは思う。個人的には本作のように、エロシーンがちゃんとエロくて、かつエロシーンと非エロシーンが連携しているのであれば、非エロシーンの割合がもっと増えてもらっても構わない。

単行本でまとめて読んで、カバー下の年表も読んで、前提知識をいろいろ調べて、初めて全貌を楽しめる作品なので、ちょっととっつきづらいのは確かだ。でもハマってしまえば他にないエロマンガ体験ができる。『永遠娘』は「ロリババアが出てりゃなんでもいいだろ!」とばかりに、百合だったりバイオレンスだったり尖ったマンガを載せてきた。そんな攻めた編集方針が功を奏した一冊と言えるだろう。

毎週金曜日に更新するエロマンガ時評企画。前回の記事で、ヒロインのおっぱいを垂れ乳とロケットの複合型と書いた。あとから見直したらどうみてもロケットおっぱいではない。なんでこんなこと書いたんだろ(修正済)。急いで書くとこれだからよくない……。気を取り直して、今回はみちきんぐの『アザトメイキング』を取り上げる。

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画像だとわかりにくいけれども、表紙カバーが半透明で、下の絵が背景としてうっすら見える。なかなか美麗で、モノとしての満足感が高いので、電子を待たずに紙で買ってしまうのもいいと思う。前単行本から続く主従シリーズ&カニマガジンシリーズと、短編が一本収録されている。

みちきんぐは多分、今の『快楽天』の看板作家の一人なのだろう(私はエロマンガはほとんど単行本で読んでいるので、雑誌の話はやや自信なし)。『快楽天』という雑誌は、いわば「エロマンガのジャンプ」と言っていいような超メジャーだ。ただ、メジャーであり(もうこのカテゴリ自体が消滅したが、もともと)コンビニ誌であるがゆえに、最大公約数的で読み捨てできる作品が載りがちでもある。前作『主従えくすたしー』も概ねそんな印象で読んだのだが、今作にはちょっとそこからはみ出る部分がある。

たとえば、最も収録数が多いカニマガジンシリーズのストーリー。『COMIC悦楽天』なるエロマンガを発刊している「カニマガジン社」を舞台に、女性編集者達のお仕事・恋愛・セックス模様を描く。設定自体がパロディだが、本シリーズは他にもメタフィクショナルなお遊びが仕掛けられている。

「新米編集月本さん」は、スランプに陥ったエロマンガ家・桜庭のネタ出しに編集者の月本さんが付き合うというあらすじだ。エロマンガを読み慣れた人からすれば、「ははぁ、編集者が担当作家とセックスするパターンね」と思うだろう。ところがなんと、月本さんが作家に提供するマンガのアイデアというのが、まさしく編集者が担当作家とセックスする話なのだ!月本さんはエロマンガマニアなので、こういう「あるある」が出てくるのも筋が通っている。

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「人妻編集月本さん」では、いろいろあって桜庭と結婚した月本さんがコスプレで彼を誘惑する。で、月本さんが選択するコスプレというのが、桜庭のエロマンガに登場するドSのメイド「佐倉さん」……ってそれ、主従シリーズの紫音さんだろ!

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(上:月本さんがコスプレする「佐倉さん」、下:『主従えくすたしー』から紫音さん)

こういうマニアックなお遊びは、やっぱり楽しい。ただ惜しむらくは、あくまでお遊びに止まっているところ。「新米編集月本さん」は、始まりこそひねっているが、結局月本さんが桜庭と本当にセックスして、あるある展開に落ち着いてしまう。「人妻編集月本さん」では、ドSの紫音さん(佐倉さん)とSに徹しきれない月本さんが対比されるものの、結局紫音さんもツンデレだったことが本単行本収録作で発覚するため、コントラストがはっきりしない。この辺もっと凝っていけば、ゴージャス宝田「アグネスファイト!」みたいな、さぞや傑作ができように……とちょっと残念ではある。ただまあ、そうなるといよいよ『快楽天』の枠を溢れてしまうか。


もう一つ言及したいのは絵である。これまでのみちきんぐの絵については、アニメ的美少女をきちんと描いているなあというくらいの印象で、個人的にそこまで思い入れはなかった。しかし、本単行本に収録されている2020年以降の絵は、私にとってもぐっと魅力的になっている。バランスがややリアル寄りになり、線にもより重みを感じる。特に驚いたのは次のコマの、快楽に陶酔するヒロインの表情だ。

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目を細め、鼻の穴を広げて、はっきり言って不細工だが、不細工さがたまらなくエロい。以前『マンガ夜話』でいしかわじゅんが「鼻の穴理論」を提唱していたが(作家が鼻の穴を描くのは、キャラを人間として描いている時だという理論)、まさしくこのコマにも当てはまる。

凝ったシナリオ、生々しいエロさ。こうした側面をメインに突き詰めて、みちきんぐが『快楽天』っぽさを突破するのか、それともあくまで隠し味に保って、わかりやすさとの絶妙なバランスを保つのか。どちらにしても、次の単行本が楽しみになる一冊だった。

これは毎週金曜日に更新するエロマンガ時評企画である。ただ、今週は静岡を旅行していたのであまりエロマンガを読めてない。富野展のレポートでもしてお茶を濁そうかとも思ったが、流石に第3回目で番外編ってのもアレなので、がんばって新刊レビューする。今回取り上げるのは、サークルちんちん亭のchinによる東方紅楼夢新刊、『洗脳巫女と世継ぎをつくろう!』である。

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ちんちん亭の同人誌は毎回安定して高クオリティで、今回もよかった。特に、霊夢の爆乳おっぱいが素晴らしい。大きく言えば垂れ乳なのだが、長く垂れているわけではない。しっかり質量を持った部分が前方にあり、体との連結部が下に垂れている。ボリュームと熟れが並存していて、一粒で二度美味しい。

このおっぱいをさらに輝かせるのが、様々な衣装とのマリアージュである。ちんちん亭の同人誌は基本的に、ヒロインがいろんなコスチューム(紐水着とか全身タイツとか、とてつもなくわかりやすいエロコスが多い)に着替えながらセックスを繰り返す構造を持つ。本作ではこのコスプレが、おっぱいの魅力をより引き出している。

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たとえば冒頭で着ている巫女服。あの垂れ乳が服の上からだと、ハリのあるメロンおっぱいに見える。上着が、垂れている連結部を隠しつつ、おっぱいを下から支えているのだ。ただし、脇が大胆に開いているから、カメラアングルを変えれば必死の努力がモロ見え。隠し切れてない感じがエロい。だらしない乳を必死に取り繕いやがって……正体見たり!って感じだな。

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続いてわずか数コマしか登場しない競泳水着。ぴっちりしているので、巫女服のようなごまかしは効かない。重力に妥協するおっぱいと、重力に抗う水着の戦いぶりがはっきりわかる。谷間から脇へのラインで、水着に押されたおっぱいの底面が少し潰れており、そのやわらかさ・重さ・垂れっぷりが堪能できる。

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一番健気におっぱいを支えているのは紐水着だろう。竿役の体に補助してもらってやっともちあげている状態だ。背中への食い込みが、爆乳の暴力を存分に伝える。

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もちろん、ただ爆乳キャラにエロコスを着せただけではこうはいかない。両者が化学反応を起こすよう、chinが注意を払って作画しているからこそ、これだけエロくなっているのだ。


ところで、ちんちん亭の長い東方同人活動歴の中で、霊夢がオフセット本のメインヒロインに抜擢されたのは、今回が初めてだ。満を辞しての主人公登場だけあって、chinのキャラクター解釈がきっちり反映されたお話になっている。

chinは後書きで「霊夢ちゃんはおそらく耳年増のムッツリスケベだと思う」と述べる。だから、本作は催眠ジャンルではあるが、むしろ霊夢の性欲が際立つように描かれている。最初こそ不意打ちだが、途中から霊夢は自分から率先して催眠を受けにいく。竿役も一方的に「語録」をまくし立てるのではなく、彼女におねだりさせようとする。男の体に乗った霊夢が頭を垂れ、自分を調教した労を感謝し、お詫びに生中出しを誘うコマは、マゾヒズム炸裂の名シーンである。

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ちなみにもう一人の主人公格、魔理沙もまだ未登場である。インタビューによると、「自分の中で魔理沙は「頑張りやさん」として妄想しているのですが、それを自分のエロに繋げづらいのかもしれないです」とのこと。個々のキャラへの思い入れと描きたいエロが重なり、像を結んで初めて作品にしているのだろう。だからこそ本作でも、霊夢の欲望に焦点が当たった。一見テキトーにヒロインを犯しているようなちんちん亭作品だが、実は背後に、キャラへの深い深い愛があるのだ。

毎週金曜日に更新するエロマンガ時評企画、今回は山文京伝の『月下香の檻 二』を扱う。

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あるエロマンガ作家について原稿を書く時、2ch(現5ch)のスレッドを参考にすることがある。私が見た中でも、山文京伝のスレは異様な熱気に満ちていた。『月下香の檻』の最新話が公開されるたび、その解釈や是非を巡って喧々諤々の議論が戦わされる。他にも山文作品の考察を専門とするブログ「誰も知らないペリドット」があったりして、やはり山文京伝はカルト作家なのだなあと改めて確認させられた。

山文がカルト作家たりえている所以、それは自分だけの路線を確立し、頑固に守り続けているところだ。その路線を簡単に要約すれば、人妻が間男に調教されNTRる様子を、肉体よりも心理を重視して追う大長編、となろう。処女作『緋色の刻』(1993年、同人誌)からしてすでにこの路線だ。『砂の鎖』(2001)以降はもう、一辺倒といっていいぐらいである(ただ山文がこの路線に集中することになったのは、必ずしも彼の自由意志のみによるものではない。この辺は私たちの同人誌でのインタビュー(サンプル公開中)を参照してほしい)。

『月下香の檻』も大きく言えば同じ路線である。夫は単身赴任、息子は全寮制の学校で、家に一人残された妻・唯子が、夫の親戚らしい満司によって開発・調教されていく。2013年に連載開始して以来の大長編で、今回は全3巻の第2巻だ。

ただし、単に同じ路線をなぞっているだけではない。というのも、この巻に、私はこれまでの山文京伝作品にない魅力を感じたのだ。信じてもらえないかもしれないが、恋のときめき(当社比)というか……胸キュンというやつである。

以下、『月下香の檻』第2巻の3大胸キュンポイントを大発表したい。

胸キュンポイントその1。調教の一環としてSMショーに出るよう言われる唯子。「誰もステージの女が何者かなんざ気にしねえ」。そう言われても不安な彼女は、仮面を被ってステージに出る。が、プレイ中あまりの快感にのけぞり、仮面を落としてしまう!顔を見られる、夫に子にバレる……!そんな不安を打ち消すように、満司が優しく肩を抱きとめる。

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たとえ唯子のチョンボがあっても、ショーに誘ったのは自分なのだから、自分が守って安心させてやる。いや、男らしくていいじゃん……。ここまでの満司がムサくて図々しいおっさんにしか見えなかった分、ギャップ萌えでさらに+10点。

この後唯子は満司のキスで絶頂するのだが、ショーのシーン以外でも、全体にキスが大事にじっくり描かれている。これが胸キュンポイントその2

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胸キュンポイントその3。この辺は山文あるあるというかNTRあるあるなのだが、ヒロインが調教生活から一旦家族のもとへ戻ってくるところがある。しかし夫と息子を笑顔で迎える彼女には、もはや間男のモノであるという証が刻まれていた……。乳首ピアス?刺青?驚くなかれ、ごく普通の耳につけるピアスである。

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これまでノンホールピアスしか付けてこなかった唯子が、満司に言われ、初めて自らの体を傷つける。……ということなのだが、満司の言う「最近は子供だって穴ぐらいいくつも開けてるんだっ 大人の女がこの程度で狼狽るもんじゃねぇ」はまあ、結構正論だろう。ただひたすら善良な夫に報いるため、ただひたすら貞淑であろうとしてきた人妻が、浮気相手に導かれて自分の殻を破り、プチ不良なおしゃれに手を出してみる。いや、なんならいい話ではないか。

ちなみに胸キュンからはちょっと離れるが、ピアスというチョイスの良さをもう一つ。山文は読者をヒロインの心理に同一化させるため、顔の超クローズアップを多用する。ちょうどその時、ピアスが大写しになるのだ!だから読者は唯子と共に心を揺らされるまさにその時、自分≒唯子が満司のモノであることを再確認させられるのである。

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もちろん以上のような胸キュンを通じて、満司は唯子を調教し自分の思うままにしようとしている。この先にはもっと本格的な調教が待っているはずだ。唯子もそれを知りながら、あるいは知っているからこそキュンとなり、逃れられない蟻地獄に落ち込んでいく。だから激しいセックスよりも、一見ライトな胸キュンシーンの方が、ずっと暴力的でエロいのだ。

私は山文のインタビューを行う前、準備として彼の作品をほぼ全て読み返した。やる前は正直、おんなじ話を何回も読みたくないよと、ファンながら若干憂鬱だったことをここに告白する。しかし精読してみると、心配は杞憂だった。確かにほぼ全ての作品が人妻NTRものではある。だがどの作品も、人妻NTRの枠内で、つねに新しい趣向を凝らしていることが、続けて読んで初めてわかったのだ。『月下香の檻』の胸キュンもそのひとつだろう。常に挑戦を続けることもまた、山文がカルト作家たりえるもう一つの理由なのだ。

いちおう私(新野安)はエロマンガ・ライターであるという自意識を持っている。だが自分で制作しているWEBラジオや同人誌では、主に過去の名作を評論していて、新作を論じる場がない。そこで週一回、新作の感想を中心に、短めの時評を書いていくことにした。今回はえいとまん『雌吹(めぶき)』を扱う。

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前作『本能』がかなりエロかったので、今回も期待していたが、期待以上だった。とにかく連作「キンギョバチ」がエグい。ある一人の男に犯されるため幼い頃から育てられてきた女の子の話で、もはや気が滅入る。

だが今回はストーリーではなく、えいとまんの演出の話をしてみたい。

えいとまんのマンガはホラー的だと思う。繰り返すが、ストーリーの話ではない。例えば叙火『八尺八話快楽巡り』のように、妖怪が登場するとかいうわけではない。『雌吹』の収録作はタイトル通り、ヒロイン達が「雌」として「芽吹く」、陵辱・調教話であって、取り立ててホラー要素はない。ただ、その語り方がホラー的なのだ。

えいとまんは、「認識が現実とズレる」感覚を強調する。これをホラー的に言い換えれば、「知らぬ間にとんでもないことが進行している」、「決定的なことが起こっているのに気配しかわからない」、という感覚になる。磨りガラスの向こうで何か影が動いているシーンを想像してほしい。さらにエロマンガ的に言い換えれば、「心に反して体が疼く」「理性に反して子宮が欲しがっちゃう」事態になる。

具体例を挙げてみよう。動画サイトで配信者をやっているヒロインが、自分に向けられた性欲丸出しのコメントを見て、妄想の世界に入るシーンだ。

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最後の2コマを見てほしい。一旦ヒロインのアップを挿入し、その後カメラを引いたコマに進む。おそらくこのシーンは、後者のコマだけで成立する。「チンコに囲まれた妄想に入った」という状況を説明しているのは、後者の客観ショットだからだ。しかしこの前にチンコが入っていない主観的なアップを挿入することで、「妄想の世界にすでに入っているが、チンコに囲まれているとわかっていない」時間が生まれる。このタイムラグが、認識と現実のズレである。表情だけを切り取ることで、雌吹いた体に追いつけないヒロインに、読者は同一化するよう誘われる。この種のタメは本書で多用されている。

もう一つ面白い例を引用しよう。援助交際を持ちかけられ、まあ大丈夫だろうと承諾したヒロインが、男に蕩かされるシーン。

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ラストで「即堕ち2コマ」的にコマが流れているが、それ以前からのモノローグを受けて視点がヒロイン寄りになっているため、単なるギャップの強調以上の効果がある。つまり、1コマ目の余裕ある状況から、その過程を認識できぬままいつのまにか、2コマ目のひどい状況になってしまった、というヒロインの意識の表現になっている。ここでも認識と現実のズレが、マンガ表現に落とし込まれている。

もう一つ、「認識と現実のズレ」とは別だが、やはりホラー的な表現として、独特の字体を挙げたい。

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この「どくんどくん」という文字は、擬音にしては奇妙なほどに活字的だ。だが決して活字そのものでなく、揺れを含んでいる。文字が含む揺れは、射精がもたらす暴力的な快感の表現であり、一方で活字的なニュアンスは、快感がヒロインに否定しがたい客観的現実として迫る様子の表現である、と解釈はできる。しかしもっと根源的なレベルで、この活字だか手書きだかわからない文字、それ自体が気味悪くないだろうか。ちょうど死者だか生者だかわからないゾンビが気味悪いように。

ここまで書いて私は、かつて性教育でこの世にセックスというものがあると教わったときの気味悪さを思い出す。自分の知らない間に、自分の意思を無視して、「子供を作るため」の機能が、自分の体に組み入れられている。私はそれが不快だった。セックスとはそもそも気持ち悪く不快で、つまりホラー的なものなのではなかろうか。そしてホラーが不快であるがゆえに人を惹きつけるように、セックスも不快であるがゆえに人を惹きつける。調教もののようなインモラル系の作品は特にそうだろう。だとすれば、えいとまんのマンガはホラー的であるからこそエロいのだ。個人的には今年ベスト級の一冊だった。

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