新野安と夜話のブログ

新野安がマンガやエロマンガについて文章を書いたりするブログ。Webラジオ「エロマンガ夜話」「OVA夜話」の過去ログ紹介も。

2017年01月

※元は香吹茂之先生の最新刊『即絶頂』のレビューを書くつもりだったのですが、書き始めるとどうしても『美脚が欲しいんでしょ!?』に触れざるを得なくなったので、その部分だけを文章化することにしました。
実質的には以前ツイキャスで話したことの要約に近い文章ですが、ご笑覧ください。

a288bf0d.jpg



劇画的なタッチで描かれたいかにも気の強そうな美女が、
ボンデージに身を包みこちらを挑発する。
香吹茂之『美脚が欲しいんでしょ!?』の表紙を見て、「引いて」しまう人も多いだろう。
生真面目なまでにSMの理念に忠実なその真剣さは、見るものをたじろがせても仕方がない。
ところがそれは見かけだけのことにすぎない。香吹茂之の本質は、実はその不真面目さにこそある。


・『北斗の拳』のパロディ


『美脚が欲しいんでしょ!?』は、(カラーページで描かれるプロローグの後)こんな宣言から始まる。
「西暦20XX年、世界経済は崩壊した」
「物流は途絶え/インフラは崩壊/続く暴動・内乱/略奪のすえに/あらゆる産業は死に絶えた/
……だが/人類は絶滅してはいなかった……!」
立ち昇るキノコ雲。地平線まで続く荒野。現れるモヒカンの悪人達。
彼らを蹴散らすのは、拳法「怒鋭襲流昇天脚(どえすりゅう・しょうてんきゃく)」の使い手、条欧沙魔子(じょうおう・さまこ)。
自らをかつて倒し・犯した、謎の女を犯し返すため、暴力の支配する荒野を旅しているのだ。


00073f87.jpg

↑ふざけた時代にようこそ



そう、本作は『北斗の拳』のパロディだ。いや、『北斗の拳』だけではない。
女が復讐のために旅を続けるという物語の構図は、『修羅雪姫』を代表とし近年では『青猫について』という傑作を産んだ系譜に基づくものであるし、
とある悪役キャラクターのコスチュームは「ストレッチマン」に酷似しているし、
主人公やライバルたちが操る拳法に付けられるもっともらしい解説は、『魁!男塾』を連想させる。
果ては、「群馬最速を目指す走り屋たちの聖地」「日本じゃ二番目だ」といった細かい台詞まで、
本作は他の漫画・映像作品を連想させる描写に満ちている。



・香吹茂之の不真面目さ




無論エロ漫画にパロディという手法はありふれたものである。
が、本作をそうした「ありふれたもの」の一つとみなすのは無理があろう。
拳法家同士のぶつかり合いを描くアクションシーンは、肝心のSMプレイの描写を明らかに圧迫している。
小刻みに挿入されるパロディは、「俺の名は――狼!弩円舞谷狼(どえむや・ろう)!」などという崩壊した言語感覚の台詞と相まって、
「実用的」な読書に必要な注意力を散らせる。
つまるところ、エロを主目的にした作品の中で、アクセントないし副目的としてパロディやギャグをやっているとはとても思えない。
エロさと同等、ないし、エロさを妨害したとしても追求すべき目標として、パロディやギャグをやっているように見えるのだ。


つまり、香吹茂之は、エロやSMだけを真剣に追い求めているわけではなく、「下心」のある作家なのだ。
『美脚が欲しいんでしょ!?』も、ドM専用というわけではなく、見た目よりずっと親しみやすい作品である。



・真面目に不真面目であること



ただし、香吹茂之の不真面目さは並大抵のものではない
「モヒカン闊歩型世紀末でエロ漫画」という、居酒屋で冗談めかして語るような話を、
数百ページ分の長編としてきっちり描ききってみせる。



「なぜ経済崩壊でキノコ雲が上がるんだ!?」などとツッコミを入れ、
薄ら笑いを浮かべながら読んでいた読者も、
まずは剛乳流柔術・ユカリとの対面のシーンにただならぬものを感じ取るだろう。


37468058.jpg

↑名乗り合う二人。パースと動線が衝撃を強調する



ここで沙魔子の取る構えの美しさ。
加えてそこには、これまでの動きの勢いと余韻があり、これからとる動きへの構えと緊張がある。
香吹の描く女性のポーズは常に優雅で、特に女体の作る"ひねり"が艶めかしい。
そして彼はエロ漫画界には珍しいアクションの描ける作家でもあり、その絵にはきちんと動きがある。
本作で描かれる拳法家同士の戦闘には、香吹の画力がいかんなく発揮されている。


84423a21.jpg

↑通称(?)「最も美しい金蹴り」。イナバウアーのようだ。

resize4426.jpg
↑いかにも香吹的なひねりの利いたポーズ。名乗りシーンほど派手ではないが、足を強調するパースも芸が細かい。



美しさだけではなく、本作の戦闘シーンにはきちんとロジックがある。
相手がこんな技を出したからこんな技を出す、
こんな技を出せば相手がこう動くからそれを読んでこう動く……というような、
格闘漫画らしい技の読み合い・掛け合いが描かれている(技自体は電気アンマなどだが)。


さらに主人公である条欧沙魔子も魅力的だ。
かつては少女らしい少女でしかなかった彼女は、ある女に倒され犯されることによって、
自らに眠る女王の血を目覚めさせる。
彼女が戦うのは人助けのためでも、仇を取るためでもない。
他者を蹂躙する悪を倒し足蹴にすることによって、「ドSを超えたドS」としての、
嗜虐の悦びを得るため
なのだ。
「これは復讐ではない……欲望だ」とうそぶく沙魔子。
読者もいつの間にか、彼女の痛快なエゴイズムに喝采を送り、
そして最強ゆえの孤独に震えるラストシーンの彼女に涙することになるだろう。


85ef2459.jpg

↑決め台詞。第一話と最終話で反復され、ストーリーの輪を閉じる


5b260e21.jpg

↑頂点ゆえの孤独。最強の女王となったそのとき、ひとりの少女に戻る沙魔子。


迫力と美に満ちた戦闘シーン。殺るか殺られるかのサスペンス。強烈な動機と魅力的な歪みを持つ主人公。
そう、本作はあまりの不真面目さゆえに、大真面目にパロディに精を出すこととなり、
『北斗の拳』、『修羅雪姫』といった漫画の本質まで移植してしまった。
結果、パロディの範疇を超え、独立したバトルアクション漫画として成立してしまっているのである。




・何を読んでいるのか




無論、本作がエロくないわけではない
ちゃんと一定の量のセックス描写は用意されているし、プレイも濃厚だ。
だが明示的にエロシーンとして用意されたコマよりも、
格闘アクションでの沙魔子の妖艶な表情や美しい姿勢の方が、ずっと興奮を掻き立てる。


『美脚が欲しいんでしょ!?』は、不真面目なパロディを徹底するほどに、
バトルアクション漫画として、あるいはエロ漫画として真面目になっていくという奇妙な作品だ。
不真面目な傑作の多い香吹の中でも、「何を読んでいるのかわからないがとにかく面白い!」という
目眩のする快感
を最も感じられる。
一味違うエロ漫画を読みたい諸氏には絶対にお勧めできる一作である。

傾向音「寝取られ妻との性生活」(Dliste.com)



寝取られジャンルの本質(の一部)は「マゾヒズム」にあるといってよい。
主人公が大切な人を間男に性的能力によって奪われてしまう、という「寝取られ」の物語構造は、視点を変えれば、大切な人によって主人公の性的能力が低く見積もられ、馬鹿にされているということに等しい。
すなわち寝取られは、寝取られるヒロインをS、主人公をMとしたSMとみなすことができるわけである。
この被虐性が寝取られの本質の重要な一部である。



だがもしもこれが正しいならば、マゾヒズムジャンルとしての寝取られにとっては、間男の存在は副次的なものに過ぎない。
浮気する女=S、主人公=Mの二者関係こそが中心であり、間男は責めのための装置ということになる。
間男は寝取られの構造が成立するための不可欠な支点でありながら、それ自体としては重要ではない――いわば「空虚な中心」というわけだ。
サークル「傾向音」のCG集『寝取られ妻との性生活』は、この逆説をまともに作品化した結果、「奇作」と言いたくなるような構造を持つことになった。
なにしろ、寝取る間男がまったく登場しないのだ!



主人公は念願かなって手に入れたマイホームで、妻の菜緒とともに新生活を始めたばかりのサラリーマン。
だが少し前から菜緒の様子がおかしい。急にセックスに積極的になったのだ――。本作はこんな風に始まる。



もちろん寝取られジャンルの「お約束」として、菜緒は間男「須藤」にセックスの快感によって寝取られている。
だが本作の画期的な点は、本編が始まったときにはすでに菜緒は完全に調教されきっているため、間男によって菜緒が寝取られる肝心の過程がまるごと省略されている、という点にある。
いや須藤と菜緒のセックスどころか、須藤自体がこの物語にはまったく登場しない。
これは異常事態である。普通寝取られ作品は、「調教もの」のサブジャンルとして、寝取られるヒロインが「堕ち」るまでの過程を重視して描き、「堕ち切る」瞬間をクライマックス(最大の「抜きどころ」)とする。
だが本作では、そうした寝取られ作品の中心となるべき描写が丸ごと欠落しているのである。



むしろ本作は、主人公と妻の菜緒の間のプレイを中心に描いている。ただし、「本番」は序盤だけ。
中盤以降、主人公の射精は妻によって徹底的に管理され、手淫や言葉責めによってのみ達することが許される。菜緒への挿入は須藤だけが可能な特別な行為だからだ。



後にわかるのは、菜緒が主人公をいわば「財布」として活用するため、彼をMとして開発していたという事実である。
主人公を被虐の快感で縛ることで、自らに従う奴隷とする。
主人公が購入したマイホームや、毎月の収入などを彼女が搾取し、須藤に貢ぐことで、須藤の正妻に近い位置を得ようというのだ。
つまり本作は、菜緒によって主人公が調教されていくSM作品なのである。
であってみれば須藤の不在はそれほど不自然ではない。重要なのはサディストの妻とマゾヒストの主人公の間の二者関係であり、須藤の存在は舞台設定の一部にすぎないからだ。
(主人公の奴隷化計画が菜緒の主体的な発案によるものであるという点は指摘しておくに値する。
つまり主人公は須藤でなく、妻に陥れられたのだ。本作で描かれるのはあくまで二者の搾取関係である)



そして既に述べたように、それは寝取られの、マゾジャンルとしての本質からの帰結でもある。
寝取られ的な見せ場の不在によって、逆に寝取られの本質が不純物なく露わになっているといえよう。
サークル「傾向音」は寝取られというよりはSMジャンルで活動してきた作り手であり、だからこそジャンル内部で見過ごされがちな側面を引き出して見せることができたのだろう。



ちなみに須藤の不在は、寝取られの本質を露わにするのみならず、もっと直接的な物語的効果も生んでいる。
須藤と菜緒のセックスは明示的に描かれない。からこそ、読者は菜緒や朋の自分に対する罵倒からそれを想像するしかない。
結果、直接描いた場合以上に、性的怪物須藤に、菜緒が虜にされてしまったという印象が膨らんでいく。
比較して自らの不能性に対する絶望、須藤に対する嫉妬は高まり、SM作品・寝取られ作品としてのテンションは却って増していくこととなるわけである。



間男を空虚な中心として設定した本作は、一見寝取られの邪道を行くように見えて、
実は寝取られジャンルのある側面を見事に切り出し、エクストリームに突き詰めて見せた、王道を行く傑作である。
同じ2016年に出版され、逆に「サディズムとしての寝取られ」を暴露して見せたkiasa『ひなたネトリズム』と合わせて読むことで、「寝取られ」ジャンルを両極端から眺めることができるだろう。

<関連記事>
なぜわざわざ寝取られなんて読むのか?
寝取られの魅力を「主観的ギャップ」と「マゾヒズム」として説明した記事。

↑このページのトップヘ